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いて座A*

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ブラックホールが時間をゆがめるしくみ

私たちの銀河の中心にあるブラックホールへ、探査機が落ちていきます。双子の時計のもう片方は、母船に残ります。すると2つの時計は、だんだん合わなくなっていきます。

01

私たちの銀河の中心にひそむ穴

いま見ているのは、私たちの銀河、天の川銀河の中心にあるブラックホールです。天文学者はこれをいて座A*と呼び、A*は「エースター」と読みます。地球からの距離は約2万7000光年、重さは太陽の約430万倍です。そのまわりを、熱いガスでできた薄い円盤、降着円盤が回っています。真ん中の暗い円が、ブラックホールそのものです。その縁が事象の地平線です。この線を越えたものは、光でさえ二度と戻ってきません。中心から縁までは約1270万kmで、太陽の半径の約18倍です。光でも、この距離を進むのに約42秒かかります。

この暗い円は、表面ではありません。ブラックホールの影です。空のなかで、光がまったく届かない部分のことです。ブラックホールのすぐそばを通る光は、曲げられます。円盤を見ると、それがよくわかります。円盤の奥側は、本来ならブラックホールの陰に隠れて見えないはずです。ところが実際には、暗い円の上と下に浮かんで見えます。奥側から出た光が、ブラックホールの上と下を回り込んで、あなたのところへ届くからです。また、円盤は右側のほうが左側より明るく見えます。右側のガスは、光の速さの何割にもなる速さで、こちらへ向かってきています。そのせいで、光がより明るく、より青っぽくなるのです。

この場面の主役は2つです。ひとつは小さな探査機です。時計と点滅するビーコンを積んで、中心から地平線の半径の5倍の位置で止まっています。これからその場を離れ、まっすぐ落ちていきます。もうひとつは母船です。地平線の半径の20倍の円軌道を回りながら、双子の時計のもう片方を積んで待っています。どちらの時計も、ゼロから動きはじめます。このモデルでは、いくつかの点を簡単にしています。探査機と母船は、見やすいように実物の何千倍もの大きさで描いています。ブラックホールは回転していないものとして描いています。本物がどれくらいの速さで回っているのか、まだだれも測れていないからです。タイムラインをドラッグすると、落下を追えます。場面をドラッグすると、向きを変えられます。

本物のいて座A*は、この絵よりずっと暗い天体です。全体を合わせても、明るさは太陽約200個分しかありません。太陽430万個分の質量があることを思えば、ごくわずかです。1年に飲み込む量も、太陽の質量の約1億分の1にすぎません。この絵で円盤を明るく描いているのは、光の曲がり方を見やすくするためです。それでも、本物の影は写真に撮られています。2022年、イベント・ホライズン・テレスコープが、そのまわりで光る輪を写し出しました。地球のあちこちにある電波望遠鏡をつないだネットワークです。輪の直径は、1秒角の約100万分の52です。1秒角は1度の3600分の1ですから、本当に小さな輪です。

質量
太陽の430万倍
地平線の半径
1270万km
探査機の時計
0:00
母船の時計
0:00

02

ずれていく2つの時計

0:00に、探査機が落下を始めます。スタートは止まった状態からです。ブラックホールの近くでは何もかもが高速で動いているので、本物の探査機が止まっているにはエンジンが必要です。ただ、時計のふるまいはどちらでも変わらないので、モデルでは簡単にしています。このあたりで探査機を引っぱっているのは、ごくふつうの重力です。探査機ははじめゆっくりと、やがてどんどん速く、内側へ落ちていきます。探査機自身の時計では、約11:53に地平線に達し、その約30秒後に中心に着きます。母船は、地平線の半径の20倍の軌道を回っています。その時計は、ブラックホールから遠く離れた時計とほとんど同じように進みます。

ビーコンは、探査機の時計で10秒ごとに光ります。この間隔はモデルで決めたもので、本物のビーコンなら何秒おきでもかまいません。光はひとつずつ母船へ向かい、母船は届いた時刻を記録します。落ちはじめた時点ですでに、光が届く間隔は、送り出したときより約8%長くなっています。奥へ進むほど、この間隔は広がります。地平線の半径の3倍の位置では、探査機の1秒が、母船ではほぼ2秒になります。2倍の位置では、ほぼ3秒です。このような時間の引き伸ばしを時間の遅れといいます。スライダーをドラッグして探査機の距離を変え、2つの時計がずれていくようすを見てみましょう。

ここでは、2つの効果が重なっています。1つ目は重力です。重力の井戸の深いところで止まっている時計は、遠くの時計よりゆっくり進みます。地平線の半径の2倍の位置に止めた時計は、遠くの時計の約71%の速さでしか進みません。1.1倍の位置なら、約30%です。2つ目は運動です。探査機は落ちながら、どんどん速くなります。光は引力に逆らって外へ登らなければならず、そのあいだにも、光を出した探査機は遠ざかっていきます。どちらの効果も、光の周波数を下げ、届く間隔を長くします。この2つを合わせたものが、母船で測る赤方偏移です。光は遅れて届くだけでなく、赤くなって届くのです。

これは、特別な話ではありません。GPS衛星の時計も、同じ2つの効果を受けています。これらの衛星は、高さ約2万kmを回っています。そこでは地球の重力が弱いので、時計は1日に約45マイクロ秒進みます。一方で、衛星は時速約1万4000kmで動いているので、時計は1日に約7マイクロ秒遅れます。差し引きすると1日に約38マイクロ秒進むので、システムがこれを補正しています。補正しなければ、あなたの位置は1日に約10kmずつずれていきます。2010年には、アメリカ国立標準技術研究所の科学者たちが、高さを33cmだけ変えた2つの時計を比べました。すると、高いほうの時計が速く進んでいました。その差は、一生分を合わせても約90ナノ秒です。

5.0 rs
探査機の時計
0:00
母船の時計
0:00
探査機の1秒あたりの母船の秒数
1.1
母船から見たビーコン
White

03

ブラックホールのまわりで曲がる光

光はいつも、できるだけまっすぐな道を進みます。ところがブラックホールの近くでは、空間そのものが曲がっています。そのため、いちばんまっすぐな道も曲がってしまいます。これが重力レンズです。円盤の奥側から出た光は、本来ならブラックホールの陰に隠れるはずです。でも実際には、ブラックホールの上と下を通って、あなたのほうへ曲がってきます。だから奥側は、影の上と下に2本の弧となって見えるのです。ブラックホールの後ろにある星が弧のように引き伸ばされて見えるのも、同じ理由です。よく見ると、影の縁にぴったり沿って、もうひとつ淡い円盤の像が見つかります。ブラックホールを半周してから逃げ出してきた光です。

地平線の半径の1.5倍のところには、光がブラックホールのまわりを回れる場所があります。これを光子球といいます。ちょうどよい角度でここに来た光は、ぐるぐると回り続けます。その一部が少しずつ漏れ出して、影にぴったり沿った細く明るい輪として、あなたに届きます。影が地平線より大きく見えるのは、この輪があるからです。中心から地平線の半径の約2.6倍以内をねらって進んだ光は、すべて捕まってしまいます。そのため、あなたに見える暗い部分の直径は地平線の半径の約5.2倍になり、地平線そのものの幅の2倍を超えます。いて座A*の場合、光子球は中心から約1900万kmのところにあります。

さらに外側、地平線の半径の3倍のところには、最内安定円軌道があります。その外側では、ガスや星は、惑星が太陽のまわりを回るように、いつまでもブラックホールのまわりを回っていられます。その内側には、安定した軌道がありません。少しでも内側へずれたものは、そのまま落ちていきます。円盤が地平線の半径の3倍、中心から約3800万kmのところで途切れているのは、このためです。円盤の内側の縁では、ガスが光の速さの約半分で動いています。この速さになると、こちらへ向かってくるガスは、遠ざかるガスより数十倍も明るく見えます。チップをタップすると、探査機をそれぞれの場所へ移動できます。

この光の曲がりは、絵に描いただけのものではありません。実際に測られています。S2という星は、16年に1周のペースで、いて座A*のまわりを回っています。2018年5月、S2はブラックホールにもっとも近い点を通過しました。その距離は地球と太陽の距離の約120倍、地平線の半径でいえば約1400倍です。速さは秒速約7700kmで、光の速さの約2.6%にあたります。S2の光は、ブラックホールの重力と星自身の速さによって、赤いほうへ引き伸ばされて届きました。そのずれは秒速約200km分にあたり、大きさは一般相対性理論の予測と一致していました。S2はそのあと、無傷のまま外へ戻っていきました。ブラックホールは、ものを吸い込むわけではありません。ものは、そのまわりを回るのです。

影の直径
地平線の半径の約5.2倍
光が回る位置
地平線の半径の1.5倍
最内安定円軌道
地平線の半径の3倍
地球から見た大きさ
1秒角の約100万分の52

04

母船には、地平線を越える瞬間が見えない

今度は母船に乗って、落ちていく探査機をながめてみましょう。ビーコンの光が届く間隔は、どんどん長くなっていきます。光はひとつ届くたびに、前より赤く、暗くなります。地平線の近くでは、この変化に歯止めがきかなくなります。地平線の半径の1.2倍の位置では、探査機の1秒が、母船ではほぼ10秒になります。1.05倍の位置では、約36秒です。色は白からオレンジ、濃い赤へと変わり、やがて赤を越えて赤外線になります。そうなると、もう目にはまったく見えません。下の表示は、母船に届いた最後の光を追っていきます。この章では、光が消えていくようすを見られるように、再生をゆっくりにしています。

母船から見ると、探査機はいつまでたっても地平線に届きません。その姿はしだいにゆっくりになり、暗い縁へじわじわ近づいて、そこで凍りついたように止まり、黒く消えていきます。地平線を越える直前に出た最後の光は、外へ登りきるまでに、気の遠くなるほど長い時間がかかります。地平線ちょうどや、その内側で出た光は、ひとつも届きません。探査機が地平線に10倍近づくたびに、その光が母船に届くまでの時間は約98秒ずつ延びていきます。これが、どこまでも続くのです。遠くの時間には、地平線を越える瞬間にあたる時刻がありません。そのため、表示の母船の時計には、ただ「永遠に来ない」と出ます。

それでも探査機は、自分の時計で約11:53に、ちゃんと地平線を越えます。どうして両方とも正しいのでしょうか。母船が見ているのは、探査機そのものではありません。探査機から出た光です。時間の遅れは、その光がいつ母船に届くかという話です。探査機が何を感じるかという話ではありません。地平線そのものから出た光は、決して外に出られません。だから探査機はとっくに先へ進んでいるのに、母船に見える姿はそこで止まってしまうのです。ここに矛盾はありません。別々の場所にある2つの時計は、別々のものを測っています。2つの読みがどう対応するかは、一般相対性理論がきちんと教えてくれます。

地平線のすぐ上にとどまっていれば、友だちと比べて、あなたの一生は本当に引き延ばされます。地平線の半径の1.1倍の位置に止めた時計は、遠くの時計の約30%の速さで進みます。映画『インターステラー』では、ミラーの惑星での1時間が、ほかの場所での7年にあたります。約6万倍の差です。これは、いて座A*のまわりでは起こりえません。回転しないブラックホールでは、安定した軌道は地平線の半径の3倍より外にしかありません。そこでの時計の遅れは、最大でも約1.4倍です。映画の惑星には、太陽の約1億倍の質量をもつブラックホールが必要です。しかもその回転は、上限との差が100兆分の1しかないほど速くなければなりません。さらに惑星は、地平線すれすれの軌道を回っている必要があります。

母船の時計
15:41
光が届く間隔
28 s
探査機の明るさ
1.5 %
光の色
Deep red

05

何事もなく地平線を越える

今度は探査機に乗り移りましょう。地平線に近づいても、何も起こりません。壁もなければ、閃光も衝撃もありません。事象の地平線は、さわったり見たりできる表面ではありません。光がもう逃げ出せなくなる境目です。内側に入っても、そこを越えたことを示すしるしは何ひとつありません。探査機の時計はいつもどおりに時を刻み、約11:53に地平線を越えます。表示は、探査機自身の時計で、中心に着くまでの残り時間をカウントダウンします。この章は等倍で再生します。最後の数秒は、探査機が体験するのと同じ速さで過ぎていきます。

空は真っ暗になるのでしょうか。いいえ。外からの光は探査機を追いかけて落ちてくるので、星も円盤も見え続けます。ただし、曲がって赤っぽくなっています。かといって、宇宙の未来がすべて早送りで見えるわけでもありません。探査機の時間は中心で尽きてしまいます。受け取れるのは、それまでに追いつける光だけです。景色が小さな窓のように縮んでいくこともありません。地平線の近くで止まっている探査機なら、空が頭上にぎゅっと集まって見えるでしょう。でも落ちていく探査機は、ものすごい速さで内側へ進んでいます。そのため光行差という効果がはたらき、空がふたたび広がって見えるのです。

内側では、どの道も中心へ続いています。探査機の時計で約30秒後には、中心に着きます。そのずっと前から、ブラックホールは探査機の近い側の端を、遠い側の端より強く引っぱります。この引き伸ばす力が潮汐力です。地球の海に満ち引きを起こしているのと同じ効果です。これほど大きなブラックホールでは、地平線での潮汐力はごく小さく、2mあたり約1万分の1gしかありません。小さすぎて、感じることはできません。潮汐力が1gに達するのは、中心から地平線の半径の約20分の1のところ、ずっと奥まで進んでからです。人がいて座A*の地平線を越えても、何も感じないでしょう。

小さなブラックホールでは、この順番が逆になります。はくちょう座X-1は質量が太陽の約21倍で、地平線の半径はわずか約63kmです。そこでの潮汐力は、2mあたり約500万gにもなります。落ちていく人は地平線よりずっと手前で引き裂かれ、パスタのように細長く引き伸ばされてしまいます。地平線の半径の5倍から落ちきるまでは、ほんの1000分の数秒です。大きなブラックホールは縁がおだやかで、小さなブラックホールは容赦がありません。潮汐力は、体の端から端までで重力がどれだけ急に変わるかで決まります。そしてその変化は、地平線が大きくなるほどゆるやかになるからです。

探査機が中心に着くまで
0:30
静止した観測者から見た速さ
0.99 c
2mあたりの潮汐力
0.0001 g

06

大きなブラックホールほど、縁はおだやか

ゴムシートをオンにすると、場面がおなじみの絵に切り替わります。平らな格子が、じょうごの形にへこんだ絵です。これは空間をゴムシートにたとえた描き方で、本当のことをひとつだけ示しています。ブラックホールの近くでは、距離が引き伸ばされているということです。じょうごに沿って物差しを当てると、平らな円から思うより長い距離になります。でも、示しているのはそれだけです。時間がどう進むかも、何が引っぱっているのかも、この絵からはわかりません。シートの上を何かが転がり落ちるわけでもありません。じょうごは、引き伸ばされた空間を画面に描くための手段にすぎないのです。探査機が落ちるにつれて、目印がじょうごを滑り降りていきます。

チップを使うと、実在する3つのブラックホールを比べられます。いて座A*は、ここまで見てきたブラックホールで、質量は太陽の約430万倍です。巨大な銀河M87の中心にあるM87*は、太陽の約65億倍の重さがあります。地平線の半径は約190億kmで、地球と太陽の距離の約128倍です。はくちょう座X-1は太陽の約21倍の重さで、地平線の半径は約63km、ちょうど都市ひとつ分ほどです。地平線の半径は、質量に比例して大きくなります。質量が2倍になれば、半径も2倍です。

大きいほど、おだやかです。地平線での潮汐力は、ブラックホールが大きいほど弱くなります。M87*では、探査機ではとても測れないほど小さくなります。一方、はくちょう座X-1では、ものを引き裂くほど強くなります。大きいほど、同じ落下にかかる時間も長くなります。地平線の半径の5倍から落ちはじめると、探査機が中心に着くまで、いて座A*では約12分、M87*では約13日、はくちょう座X-1ではほんの1000分の数秒です。どんな質量にも、この地平線の半径があります。これをシュワルツシルト半径といいます。質量をこの半径の内側に押し込めば、ブラックホールになります。太陽なら約2.95km、地球なら約8.9mmです。

これらのブラックホールの大きさは、光で比べるとよくわかります。いて座A*の地平線の半径ひとつ分を、光は約42秒で進みます。M87*では同じ距離に約18時間かかり、はくちょう座X-1では約5000分の1秒です。M87*はいて座A*の約1500倍重く、そのいて座A*も、はくちょう座X-1の約20万倍重いのです。それでも地球の空では、この2つの巨人はほとんど同じ大きさに見えます。M87*のほうが、ずっと遠くにあるからです。イベント・ホライズン・テレスコープが最初に輪を撮影したのはM87*のほうで、2019年のことでした。輪の直径は、1秒角の約100万分の42です。

質量
4.3 million Suns
地平線の半径
12.7 million km
同じ落下にかかる時間
12 minutes
地平線での2mあたりの潮汐力
0.0001 g